C87で買ったCD・本の感想、今回は黒魔さんのニューアルバム「妄想探検記」です。

チップチューンを自由自在に駆使し、ポップスやロック、アンビエントなど様々な形の音楽を作るスタイルでコンスタントに活動しています。2014年夏の「想いで旅行記」はピアノを軸にしたアンビエント中心で、夢日記のような幻想的なコンセプトアルバムでしたが、今回のアルバムでは一転、チップチューンの魂を持った激アツ中二パワーが炸裂しています。



黒魔 / 妄想探検記

リリース: 2014/12/30
ジャンル: チップチューン
販売: メロンブックス

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黒魔の音楽は、チップチューンとイコールで結べると言っても過言ではない。ロック、ポップス、エレクトロニカ、アンビエント・・・様々なジャンルを手掛けている中でも、8bitの音色は随所で必ず現れ、どの曲でもこのシンプルながらも明るく主張の強い楽器が決まって曲の主軸を成すのである。アルバムのジャンル欄では便宜的に「チップチューン」と書いたが、実際には”楽器としてのチップチューン”といった方が正しいかもしれない。しかし、黒魔はチップチューンをただの楽器として扱っているわけではない。チップチューンといえばレトロゲームを連想する方は多いと思われるが、この「妄想探検記」の曲ひとつひとつにはおしなべて”物語”が詰め込まれており、その多くにゲーム音楽、あるいはゲームそのものへの憧憬を見て取ることが出来るのだ。そして、憧れるだけに留まらず、自らの身一つでどこまで斬り込めるかという挑戦心も感じられる。このアグレッシブさにより、収録されたあらゆるトラックが溢れんばかりのエネルギーを有し、”妄想”の赴くまま中二パワー全開で全方位に発散させる無敵のアルバムに仕上がっているのである。黒魔にとってチップチューンとは、まさにゲームの世界へ斬り込むために欠かせない存在であり、黒魔とチップチューンとの関係性は”空想の世界を探検する時の相棒”と言う事が出来るのだ。余談だが、そのチップチューンを一切使わず、代わりに全編でピアノを”相棒”としたアルバム「想いで旅行記」も大変素晴らしいのでおすすめである。

記事の上の方に「黒魔はチップチューンを軸としてさまざまな曲を作る」と書いたが、それはチップチューン以外の音が豊富でチップチューンが添え物になっているわけではない。実際、ほぼ全編に渡り、8bitのサウンドが大部分を占めた”ジャンル”としてのチップチューンが次々と繰り出されている。特に2曲目「Goodbye-bye Planet」や6曲目「第二空中実験」などは、そのサウンドが一部の隙もなく完成されておりまさにチップチューンというジャンルのお手本と言っても過言ではないトラックになっていると筆者は考えている。しかし、用いている楽器のほとんどが8bitであるにもかかわらず、黒魔のアルバムからは様々なジャンルの音楽が聞こえてくるのだ。ポップスならポップスの、ロックならロックの楽器編成が必要という常識は黒魔には通用しない。何故ならば、チップチューンを使い倒して様々な音楽ジャンルを編み出す、卓越した手腕と音色への愛情が黒魔の手中には在るからに他ならず、これこそが黒魔の本当の武器なのである。

ここで少し掘り下げて、上でちょっとだけ触れた”中二”についても文面を割く。なにぶんこのアルバムのタイトルが「妄想探検記」なものだから、収録曲もそれはもうエゴイスティックかつ夢あふれる楽曲が勢揃いである。しかし、作曲スキルもDTMの技術も高いものだから(この2つは区別して考える必要がある)、その世界観がどんなに独りよがりで自己中心的であったとしても、いやそうであるからこそリスナーはその”妄想”を大いに楽しむ事が出来るのだ。そして、黒魔の曲を高品質のエンターテインメントたらしめているのは、高い技術や優れたセンスだけでなく、その精神が強固な”中二性”を堅持しているからに他ならない。確かに腕は磨き上げた。しかし、その心はいつまでも初心を忘れることがないのだ。さらには、どうすればその中二の精神を作品に投影させられるか、かつ楽しい作品に出来るかを経験値で理解しているため、どれほどクサくダサいテーマであろうと本当にかっこいい作品に仕上がってしまうのである。しかも黒魔は、この記事の執筆時点で成人したかしてないかといった若さ。つまりこれから更に腕を磨き上げていくことは間違いないと見ていい。実に末恐ろしいことだ。



そういえば、記事を書いているここ数日、なぜか黒魔の名前がネット上で広く言及されている。黒魔の昔の動画と今の動画を比較する記事が大手メディで公開され、ねとらぼやヤフーニュース等の大手バイラルメディアにまで載ったため拡散の度合いがさらに増したためだ。その勢いは爆発的とも言えるもので、”今の曲”として例示されたニコニコ動画の作品は猛烈な勢いで再生数を増やしている。確かにあの「中二の俺が~」シリーズはいつ聴いても酷い。だがあれば、うp主の自虐性も含めてひとつのエンターテインメントとして成立しており(エンタメ作品に仕立て上げたのは間違いなくニコ動のコメント群だが)、生えまくった”草”も冷たい嘲笑ではなくあたたかい爆笑(熱い?)の類のものだったと筆者は理解している。あれは決して”創作における悪い例”ではないのだ。

そして、昔下手だったものが今では上手くなったので素晴らしい、という類の美談は作品を評価する際に”物語性”を与える強い材料となる。筆者自身も、レビューを書く時にこういった要素を探して文章を補強することがある。しかし、黒魔に関する報道が過熱していく様子を客観的に眺めるうちに、こういった類の材料は本質的には必要のないものなのだと実感するに至った。昔の曲がひどかろうが、逆に昔からとてつもなくいい曲を作っていようが、今の曲がよければ両者の扱いを区別する必要はないのである。これは筆者の普段の考え方と逆行するのだが、この流れで黒魔の楽曲が「中二の俺」の文脈でしか見られなくなったとしたら、その音楽性への正しい評価をする上で目眩ましになってしまうのではないか、と筆者は危惧している。取り越し苦労に終わるならそれに越したことはないのだが、チップチューンの使い手として独自の立ち位置を築き、ゲーム音楽家としてプロを目指している黒魔というアマチュア作家が、これからも自らの心の赴くまま創作活動を続けていき、素晴らしい作品を生み出してくれるなら、いちリスナーとしてこれ以上嬉しい事はない。これからも応援しています。