C87で買ったCDのレビュー、今回は歌い手・鹿乃(かの)さんのオリジナル新譜「グッドハロー」です。

そのささやき声は愛らしくあると同時に芯の強さも併せ持っており、滑舌の良さもあってか、歌に込められたメッセージを真っ直ぐに伝える力強さを感じさせてくれます。また、鹿乃さんは”歌ってみた”の動画を投稿するだけでなく、同人CDも数多くリリースしているのですが、意外にもオリジナルアルバムはこの「グッドハロー」が初となります。



鹿乃 / グッドハロー

リリース: 2014/12/30
ジャンル: ポップス・ロック
販売: Amazon.co.jp / とらのあな / アニメイト

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1曲目「グッドナイトエヴリワン」はナノウ提供のロックバラード。全体を通して感傷の塊のような曲なのだが、サビのベースでそれが一気に爆発するのでたまらない。大サビ直前の高音がちょっときつそうに聴こえる以外は、メロディの音域と鹿乃の声域がバッチリ合っており、両想いとも言える相性の良さを示している。なるほど、”初のオリジナルアルバムの1曲目”としてはこれ以上ない素敵な楽曲だ。2曲目「クジラのゆめのゆくえ」はwhoo提供のゆるふわポストロック。ミディアムテンポの柔らかなアンサンブルでは、跳ねるようなドラムとそよ風のように心地よいピアニカが、従来のwhoo作品と同様に良い仕事をしている。歌手と作曲家が、お互いが自然体のままにセッションしたかのような、ゆったりした空気を感じる。3曲目「内気にDaring Love」はkoyori(電ポルP)提供。アイドルポップスが炸裂しており、これは本当にkoyoriの曲なのかと歌詞カードを何度もチェックしたのはここだけの話。確かにkoyoriは砕けた口調のキャッチーな歌詞を書くこともあるが、まさか曲までこうもキャピキャピするとは思わなかった。ちなみに曲名の”Daring”は「大胆な、型破りの」という意味であり、いわゆるダーリン(Darling)でないのは豆知識。4曲目「ヒーローが来ない」はピノキオピー提供のパンクなポップ。少し風刺が効いているものの本質は徹底して娯楽作品、という側面でもピノキオピー節満載の楽曲だ。提供曲だからと言って多少丸くしたような気配が一切なかったところが非常に面白かった。

5曲目「バウワウマーチ」はdezzy(一億円P)提供の童謡風ポップス。遊園地のパレードを思わせる豪華絢爛な楽曲であり(実際、歌詞でも”パレード”の単語が出てくる)、鹿乃の歌声から多くの人が受ける印象であろう「可愛さ」「幼さ」の路線で120%突き進んだ、全年齢向けの”みんなのうた”である。6曲目「線路で歩こう」はnakano4(ナカノは4番)提供のニカニカしいポップス。nakano4の魅力でもある、”整然とした風景にふと浮かぶ感傷”はこの曲でも存分に味わえる。サウンドは明るくも渋めの電子音楽であり、横ノリでルンルンするのだがどこか内省的な落ち着きを見せている。鹿乃の歌声も、このアルバムの中で特にクールでしっとりとしており曲調とよくマッチしている。7曲目「サンクチュアリ」はすこっぷ提供のゴリゴリの王道バラード。前の記事で「グッドハロー」と同時リリースされたすこっぷのアルバム「Forgive Forget」をレビューしているのだが、自身のアルバムではアーティストとして、対して鹿乃への提供曲では職業作家として作曲しているように感じられて非常に興味深かった。最後の8曲目「decide」はkeeno提供。これぞkeenoといった、光のようにあたたかい真っ直ぐなポストロックだ。ボーカルの裏で自らも歌っているかのように鳴り続けるギターフレーズや、この飾らないギターソロやなど、まさに最高の極みではないか。余韻たっぷりのこの曲が〆であることにただ幸福を噛みしめるのである。



鹿乃はこれまでに、いわゆる「カラオケアルバム」を多数リリースしてきた。筆者も何枚か買って聴いたことがあるのだが、特に関連性のない曲が並んだCDの楽しみ方はいまいち見出だせずにいた。アルバム全体がひとつの物語を持ち、その中で曲のひとつひとつが役割を与えられているタイプのアルバムが筆者の好みだったからだ。しかし、ここ最近はこうしたカラオケアルバムの楽しみ方、というよりなぜ作られたのかが少しずつわかってきた(気がする)。つまりこれは、リリースした人の活動記録なのだ。筆者にとって音楽アルバムとは1冊の小説のようなものなのだが、この手のアルバムは写真や日記をまとめたスクラップブック、文字通りの”アルバム”なのである。もちろん、全ての人がそう考えて作っているわけでは無いと思う。しかし、こう考えればその”存在理由”は腑に落ちる。とても主観的で、ただ”曲が好き”という動機から作られているからこそ、いちファンとしての生々しい”愛”を感じることが出来るのだろう。

鹿乃にとって初となるオリジナルアルバム「グッドハロー」も、根本は同じようなものだと考えている。収録された8曲はすべて、”大好きな方々に今回のアルバムのために楽曲を書き下ろしていただきました”とあり、やはりアルバムを制作した動機は似通っている。いずれの作品にも言えることは、アーティスト活動よりむしろファン活動の成果として生まれたものだ、ということである。ファン活動とは、何も好きなクリエイターにツイッターでリプライを送ったり、CDを買ったりするだけではない。歌い手で言うなら”歌ってみた”を投稿し、自分自身も表現する側に立つファン活動だって存在する。その他音楽やイラスト、文章などで行われる二次創作も、アーティスト活動とファン活動の両方の立場から発信されているものだ。その根本には、”好き”もあれば”嫌い”もあるだろう。ただ共通しているのは強い関心。そして、自らコミットしていこうとする前のめりな姿勢だ。まさに「同人」こそが、こういった形の創作活動の基盤となっているのである。



鹿乃本人がどう思っているかは、鹿乃本人のみぞ知るところだ。しかし、筆者はこのアルバムに、鹿乃がこれまで続けてきたファン活動のひとつの成果を見出した。だがそれは言い換えるなら、いちアーティストがリリースしたアルバムとして聴くには、当の本人が後ろに引っ込みすぎているということである。このアルバムのメインは一応はボーカルの鹿乃なのだが、どうも本人が謙虚すぎるのか単純にその気がないのか、音楽や作曲家を立てようとする姿勢が随所で見え隠れしているのだ。それ自体は非常に素敵なことなのだが、それが行き過ぎて肝心の歌い手が影に引っ込んでしまっており、主役不在のコンピレーション・アルバム然としてしまっている。ざっくり言うなら、ボーカルが曲に合わせすぎているためにキャラが立たず影が薄くなってしまっており、曲単体で聴くなら非常に良いのだがアルバム全体だとちぐはぐになってしまっているのである。もう少しボーカルが前に出てまとめ役を買って出てくれれば、癖の強い楽曲群に呑まれることなく歌えるのではないか、と考えている。

ついにオリジナルアルバムをリリースした鹿乃に対しては、これから発表されるであろうオリジナル曲にも大いに楽しみなところなのだが、もし次にオリジナルアルバムを制作する際には、何か一本軸となるコンセプトを据えて、作品全体の”強度”を上げたアルバムを期待してみたい。これだけ色々な作曲家に声を掛けられる鹿乃になら、アーティストとしてかなり良いアルバムが作れるのではないのかと踏んでいる。・・・とはいっても、これまで通りのファン活動としての同人を続けることが最善と判断されるなら、筆者は喜んでそれを受け入れるつもりだ。なにせこれは「同人」なので、何をするか、どういう風に活動するかは完全に本人の自由なのだから。ただ、こういう路線を期待するリスナーもいる、ということを頭の片隅に入れておいて頂けるのなら、これ以上の喜びはない。